知足
「足るを知る」という意味の禅語「知足(小欲知足)」がある。欲を小さくして足るを知れば、例え貧しくても心は豊かに暮らせる、という意味である。私はありがたい事に今割と豊かに裕福に、ある程度稼げて暮らせているし、もし人に「貧しく暮らせ」と言われたら絶対に嫌だ。ある程度のお金は(もらえるなら青天井でどこまでも)欲しい。欲があるから頑張れるし、生きる目的や希望になる。ただ、稼げば稼ぐ程、上には上がいる事や欲望には限りがない事を知る。どれだけ手にしても決して満足し得ないことも、そして例えば自由や移動時の快適さを得るにはある程度のお金が必要だ(それは譲れない)が、それ以外の、ある程度のお金で買える「豊かとされるもの」はそこまで素晴らしいものではないなとも思う。豊かさへの欲望はあるしもっともっとお金が欲しい、と思うのに不思議だ。1度経験すれば「なんだこんなものか」と体験した事に満足し、もう1度、とはあまりならない。期待以上の裏切りがなかった為だろう。例えば高級な食事や高級なお宿。もちろん素晴らしいし、一生使いきれない程のお金があるならば365日高級宿を渡り歩いて暮らしたい。が、実際はそうではない訳で、何が何でも、例えばお金をかき集めてそれを体験したとしても「こんなもんか」と憧れていた程の感動は得られないと思う。ハッキリ言って先日泊まったダイワ○イネットと満足度はそれほど変わらない。むしろ「こんなにお金を出してこれか。。。」とガッカリするリスクや可能性が高級宿にはあるように思う。その意味では「知足」という言葉は言い得て妙だと思う。ただ、そうは言ってもお金は大事。欲しい、あればあるだけ。笑 「一切我慢をせずにお金を使う」行為自体が楽しいのだと思う。
今の私の生活、ある程度好きに自由に豊かに暮らせて、行きたい国にも行けている生活の中で、いつが1番幸せで満足度が高いかって、(旅行時を除けば)そりゃお風呂も歯磨きも夜のタスクの全てを済ませてベッドに入る瞬間である。全てから解放され自由になる時間。この為に生きている。次点で食事、それも玄米ご飯とシャケと味噌汁の、いわゆる「こういうので良いんだよ」ご飯セットさえあれば大満足である。つまり私は自由と気楽さと美味しいものさえあれば人生において幸せなのである。あとは綺麗な景色なり良い音楽なり、自分を心から満たしてくれるものは結局はお金じゃないなと思う。高級な宿も豪華な食事も、全て割高なオプションである。月並みだけれど、幸せはお金じゃないなと思う。自由と解放、これが1番だ。その為にお金を稼ぐのだと思う。時間も場所も国も生活様式も、何事にも縛られない自由なライフスタイルはどんなに素晴らしいだろうかと、今日も働くのである。
嵐山。京都の中心部よりは人も少なく、自然豊かで本当に良かった。。いつまでも外国人に見つからないでいて欲しい。。。
宇治も嵐山も、中心部から離れた場所、自然豊かな場所はめちゃくちゃおすすめ。特に新緑や苔の美しい6月くらい?が個人的にはおすすめ。