発言
他者との口喧嘩または口論から小競り合いにおいて、相手からの発言に傷つく事もあれば全く意に介さないケースもある。全く気にならないケースとしては①相手の指摘するポイントが全くの見当違いで、自分が全くコンプレックスに思っていないポイント(全く気にしていないもしくは受け入れて開き直っている事柄)や②相手が自分にとって非常にどうでもいい相手、この双方に当てはまる場合、私は相手に何を言われても気にする事はない。馬耳東風だ。「相手が自分を傷つけようとしている」状況自体にはイラつく事はあるだろうけれど。笑
①に関しては、自分が全く気にしていないワードが急に出てきて、脳内は「ハァ?」とちいかわのうさぎ状態になる。同時に「これが発言した相手のコンプレックスポイントかもなぁ」と冷静に頭の中で考えたりもする。(次回の小競り合いの武器として使える。←ダメ、ゼッタイ、多分。笑)相手が「ここを指摘すればコイツは怯むだろう」と思って発言する事柄は、裏を返せば発言した本人が気にしていてコンプレックスに思っているポイントな事もある。(違う事もある。お前のカーチャンデベソ、とか。良いじゃないかデベソだって。)②に関しては、私は正直親以外の大半の相手が、良い意味で自分にとってはどうでも良く、嫌われようが好かれようが、自分の人生の根幹には関係がないなと感じている。自分にとって大切な相手、親やパートナーや子供など家族、または仕事なんかで大尊敬している相手などに言われた発言は、何であれとても心に沁み入ると思う。そういう意味では私は今現在、執着する相手や対象が少ないので非常に生きやすい。ふわふわと身軽だ。誰に何を言われてもあんまり気にしない。「ほー、そうか。すんません。」と思うのみだ。自分にとってどうでもいい相手にクリティカルヒットにコンプレックスを指摘されたら、若干は気にするだろうしイラつくだろうが、大体一晩寝れば忘れる。笑 開き直るのだ。相手の評価なんかはどうでもいい、結局は自分が自分に満足しているか否かの問題だから。そしてそんな相手は何れ時が経ち環境が変われば関わらなくなる可能性が高い。やがて自分の人生から去っていく相手に負の感情のエネルギーを使うのは大変に無駄だと思う。逆に自分にとって、とても大切な相手に言われた事は、それまでは気にしていなかった事柄でも気にはなると思う。何にせよ喧嘩せず波風立てずに、平和に穏やかに過ごせるのが何より1番だけれど。
そんな思いから、若い頃の恋だの恋愛だのは、非常にエネルギーが必要で疲れるものだったなと思う。槇原敬之さんの歌じゃないが、恋愛はもう懲り懲りだ。人生経験として経験を楽しめたからもういい。私は昔から結婚と恋愛は別だと思っている。恋心はやがて穏やかな愛情に変わるというが(これには賛成)、結婚し生活が繰り広げられる場面で、あまりに相手の存在が自分にとって大きすぎると疲れてばかりで非常に大変だと思う。生活とその後の人生がかかっているし。よく「結婚は2番目に好きな人とするのがいい」と言われるが、2番目でも何番目でも、程々の距離感を保てる相手がいいなと思う。パートナーがいても子供がいてもいなくても、自分の人生の一本軸ど真ん中はずっと自分だけだからだ。自分が赤ちゃんだった頃からずっと続く一本道、そしてこの先も続くであろう一本道。パートナーや子供はそこにヒョイと交わる枝葉でしかない。(お子さんがいる方からしたら「そんなの机上の空論」とお叱りを受けるだろうか…)そしてお互い精神的経済的に自立したパートナーを引き当てるのも、確率からいって大変そうだ。一人暮らしも長く、独り身が心地良く快適な自分にとっては、とにかく「お互いに邪魔にならない相手」が一番の理想。月一くらいで生存確認できたらそれでいい。男性はまぁそうもいかないのだろうけど笑。で、結局は「要らないじゃん」、ってなるまでが毎回のオチだ。
マグマのように燃えたぎるエネルギーや感情は、疲れる。笑
穏やかな凪が心地良くちょうど良い。