楽しいオバサン生活
何歳から、いつから「オバサン」と呼ばれる年齢になるのかはわからないけれど、おおよそ30歳を過ぎれば立派な「オバサン」と認識される事が多いように思う。となれば私は十分に立派な「オバサン」である。学生の頃、特に10代なんかは当時の時代背景もあり、「30歳を過ぎれば女性としての人生は終わりだ」なんて考えていた。実に失礼な話である。人生はその後も続く、むしろ「オバサン」になってからの方が人生は長いのだ。ところがこの「オバサン」生活、10代に予想していたよりもはるかに自由で楽しく、またこの先どんどんとオバサン経験を積んでいくのが楽しみなのである。まずは異性に恋愛対象に見られない、これが何より大きいと思う。昨今80代女性にも性犯罪を犯す輩がいるので何歳であっても女性でいる限りは性犯罪からは逃れられないのであろうが、少なくとも「恋愛対象」のフィールドに否が応でも勝手に載せられる事はないのである。10代20代女性は望む望まざるとに関わらず、無意識のうちに周囲の異性に恋愛対象としてジャッジされている感がある。道ゆくその辺の男達にもだ。これは若い男性も同じであろうが、性犯罪に狙われる確率も高い。かつ若者自身は社会の事をよく知らないので非常に無防備だ。若さ故の謎の自信や自己肯定感もある(これは素晴らしい事だが)。オバサンから見たら危なすぎる。この危うい時期を、どうか危ない目に遭わずに楽しい事をやり切って通過し、こちらのオバサンフィールドまでやってきてほしいものである。年齢を重ねると異性からは透明人間になったかのようにその他大勢の「背景」として扱われる。非常に楽である。もちろんいくつになっても恋愛は素晴らしい事だが、不特定多数にではなく「特定の1人」にだけ好かれればそれでいいのである。
また、若い頃は経験も浅く、色々な事に心悩まされてきたのが、色々酸いも甘いも経験するとほとんどの事は大した事がない、「死ぬ事以外はかすり傷」になるのである。そもそも(大きな病気や借金、犯罪などを除けば)人生の悩みの大半は人間関係に起因する悩みである。特に狭い世界だけで生きていると、周囲の人間の些細な部分を論ったり、嫉妬や妬みを向けたり、碌でもない事ばかりにフォーカスしてしまうのが人間だ。皆暇なんだなと思う。10代の学生時代の「女子社会」の修羅場を上手く潜り抜け、20代社会人としてまた別の人間社会の修羅場を経験すると、30代以降はまた同じような悩みが現れても、10代20代で得た知見を元に、若い頃とは別の対応ができるのである。別の角度から物事を見るとまた別の解釈ができるし、自分に余裕があれば相手の状況や立場を慮って俯瞰して物事を考えられるようになる。し、そもそも30代以降は徐々にではあるが若い頃よりも身体の衰えを感じ始め、人生には限りがある事を肌で感じ始める時期である。親も確実に歳をとっている。となればつまらない、とるに足らない些細な事に心を悩まされるのは人生の無駄である。必然とやり過ごす、スルーするスキルが発達してくる。それぞれ結婚したり離婚したり海外にいたり、それぞれのペースでそれぞれが、比べようもない全く別の「自分の人生」を歩んでいる。自分の人生にのみ集中するようになるし、他人や周りの同世代も自分の事のみに集中し始める。同時に精神年齢も皆大人である。これは非常に楽である。これがまたこの先40代以降の人生にも効いてくると思うとこの先がますます楽しみである。私が今生きている30代の世の中と、この先40代50代を生きる世の中は価値観も仕組みもどんどん変わっているはずだ。未来を楽しみに、また目の前の日々を楽しく幸せに過ごしたい。どうでもいい事にフォーカスする程私の人生は暇じゃない。(キリッ
10年ご20年後日本がなんとか沈没せずに繁栄してくれたらいいな。。。💦できればもっともっと繁栄して世界に誇れる日本になってほしい。素晴らしいよ日本も日本人も。発見されていないだけで。まだまだポテンシャルはあると勝手に思っている。笑
変わるもの変わらないもの、文化財や日本の素晴らしさはいつまでも残り続けて欲しい。